その② ①より続く ここで少し歴史をさかのぼって合繊織物発展の基礎
昭和40年はじめボリエステルが日本で開発された時 東レと帝人が頭文字を取ってテトロンという商品登録を
もって一気に世界へ浸透させるため織物工場を多数系列下請けに取り込んで生産拡大しました。以来北陸の
合繊織物工場はすべからく賃加工システムに組み込まれて 支給された原料を支持通りに織物にするという仕事
我が社は絹織物を生産販売していたが昭和30年に本社工場全焼して 合繊転換に遅れをとり帝人系の2次下請け
でポリエステルの技術蓄積を10年以上やがて 同じ下請けでも試作品を作って提示して注文を取れないか 隷属
でなく対等の取引関係を目指しているうちにとうとう かっては月にいちど大阪の東レ本社へ出張して生産の進捗
と注文の打ち合わせをしていた身が東レの年一度の顧客パーティに招待されるようになりました。むろん年間
なん百トンと原糸購入する大ユーザーとは比べるべくもない小ユーザーですか゛ライバルの少ない織物分野だからこそ
目立てたことが追い風でした 新しい原糸ができると真っ先に見本を回してもらえました。 それで新製品の生地を
作ってみせると 生地の販売先を東レが紹介してくれるように 時代もずいぶんと変わりました そのじぶんにはメーカー
はもう生地づくりは止めて糸販売専業の時代に 大手織物工場は自立して自力で生産販売してくださいといわれ
打つ手なくどんどん廃業に 我が社は受注先の商社の倒産に会いいち早く自販を始めていたので他社との差別化
商品開発にいそしんでいました。 ここまで四半世紀経過 22歳で学卒後家業に従事して40歳半ば過ぎ 人並に
キチンと結婚、離婚も体験して仕事が面白く、生産品目のすべてが自社開発品という時期もありました。
その③へ続く
2021-06-04 20:03:05
ある糸の物語
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